早稲田ニセ学生新聞・第2号

1995年11月24日発行第1巻第2号通巻第2号早稲田学生新聞とは無縁毎週金曜日発行に今号より変更定期購読は受付ず代金無用本紙は何かの資金稼ぎには非ず唯の悪戯也

沖縄だけの問題にせよ

 沖縄の少女強姦事件は一ロリコン米兵が起した事件なのにも拘らず、沖縄の米軍基地廃止、安保反対運動に迄発展した。米兵を悪魔と麻原並に言ふが、マスコミは米軍をけなして楽しさうである。

 米軍は協定を利用し、容疑者を匿つたと各マスコミは非難してゐた。ただ(たしか)週刊新潮だけが米軍は日本側に協力的だつたと書いてゐた。だがそのうちマスコミは問題を大きくし、犯人の米兵の事はなるべく言及しない様になつた。誤魔化してゐる様な気がする。

 マスコミは話を大きくした。ひよつとすると安保反対の連中が大きくしたのかも知れない。いつの間にか沖縄の米軍はろくでもない連中だといふ事になり、沖縄から追出せといふ事になり、しまひに安保条約を見直せ米軍追出せといふ事に迄なつた。少なくとも早稲田の自治会はそこまで言つてゐる。

 マスコミも自治会も、犯人の米兵の事を忘れて安保だの米軍の地位協定だのを論じるのに熱中してゐる。だが被告の米兵が無罪になつたらどうするか。冷静になつて考へてみると裁判が終つてゐない今、戦前の鬼畜米英並の言はれ方をしてゐるこの米兵はまだ犯罪者でないのだ。だから精神鑑定で無罪になる可能性もある。まあさうなつたらマスコミ・自治会が何といふかは分つてゐる。米軍は気違を入隊させ、沖縄に送り込んでゐると。沖縄はそれに迷惑してゐると。

 私は沖縄県民で無いので本当に沖縄県民が米軍を憎んでゐるか知らない。ただ言へるのは、マスコミも自治会も自分が沖縄県民になつたみたいになつて米軍を追出さうとしてゐるといふ事である。言ひ方が白々し過ぎるといふ事である。

 村山首相が社会党首の癖に安保条約を支持し、沖縄県知事の拒否してゐる基地の強制使用手続きの代理署名をしようとしてゐるとマスコミ・自治会は攻撃してゐる。仲間が裏切つたとマスコミも自治会も考へてゐる、としか思へない。最近私は村山首相が気の毒に思へる。あの、人の良ささうな好々爺が首相になつたら日本中問題が続出し、しかも元は仲間のマスコミも学生も、内実を知らずひたすら村山内閣を攻撃してゐる。当然元から敵の保守派は今も敵だから、村山内閣は孤立無援である。

 村山首相も社会党の立場からすれば代理署名などしたく無からう。しかし政権に就いた瞬間から村山さんは首相の役割を演じ続け、今回の問題に対しても辛うじて巧く演じ続けてゐる。社会党の理想は昔も今も変つてゐまい。ただ今は政権政党を社会党は演じてゐるし、村山さんはその主人公を演じてゐる。私は社会党支持者では無いが、今の所社会党は社会党としては最善の政治をやつてゐると思ふ。

 結局の所少女強姦事件はそれ以上の問題にすべきで無い。まあ既に問題は大きくなつてしまつてゐるしそこで現実を見ない論議が起きつつあるから一応言つておくが、安保条約も沖縄の基地も必要である。今は冷戦が終り安保条約の意義も薄れたと言ふが、実際は安保条約をますます必要としてゐる。冷戦終結で米ソの対立は無くなつたが、かはりに地域紛争が頻発する様になつた。詰り冷戦期より朝鮮半島は不安定になつてゐる。

 沖縄は朝鮮半島で一朝事あつた場合の最前線である。金正日が巧く故・金日正の後継者になれない北朝鮮で、いつ妙な動きがあつても不思議で無い。安保条約を見直せといふ人は北朝鮮を身方だと思つてゐるのでは無いか。北朝鮮はオウム真理教をそのまま国家にした様な国だといふ。オウムを目の敵にする癖にオウムそつくりの国は身方だと思ふその根性はオウム評論家並である。村山首相は少なくとも今の所現実的である。

S君の論文

坊主憎けりや袈裟まで憎い

最近多大な関心を集めている沖縄における米兵の暴行事件に関しての考察。

 まだ小学生である少女が在日、在沖縄と言うべきか、米軍の兵士に強姦された事件であるが、一般報道では「強姦」という言葉は不快感を催すために「暴行」という言葉を使うとのことであるが、暴行と聞いて思い浮かべるのは殴る蹴るを意味する「乱暴」であり、この曖昧な表現が事件の本質を歪めている。この事件はあくまで婦女暴行事件であるから、「婦女」を取り去つた暴行とは異なる。このニュースをテレビで見た若人どもは何を思い浮かべるであろうか。恐らく三人の男が一人の少女を袋叩きにしている姿であろう。いくら理性のない人間でも三人とも気違いでなければそんな詰まらぬことはすまい。

 詰まらぬことを考え事件の存在をともすれば闇に葬り去ろうとしていた大人とは対照的に、健気な少女は敢えてこの事件を公表することを決心した。二度とこのような酷い事件が起こらないことを心から望んでのことであろう。ところが、いつの間にか問題はすり替えられ、現在では米軍を追い出すことが主眼主眼となつた議論が行われている。こんな鬼畜のようなことをする者どもは出て行けと言う。この沖縄から出て行けと言う。この日本から出て行けと言う。この地球から出て行けと言う。この宇宙から消滅しろと言う。

 非常に立派な論理である。しかし、日本人にも婦女暴行事件を起こす輩はいる。こんな鬼畜のようなことをする日本人どもは出て行けと言う。この日本から出て行けと言う。いや、言わない。当然のことである。問題を起こしたのは日本人の中の一部であり、一人の日本人が犯罪者だからと言つて全ての日本人が処刑されるべきであるという論理は成り立たない。今巷で囁かれるような展開で米軍は出て行けと言う結論を導き出すのは非論理的である。とはいえ、これは米軍基地をなくそうという運動が誤りだということは意味しない。それとこれとは別問題だということを提示しているに過ぎない。賢明な読者には語るまでもないことではあるが、念には念を入れという諺もある。

 アメリカは別に日本人が大好きで、失うことのできない親友として評価するから、軍隊を持たない、否持てない日本の代わりに米軍基地を日本に設けて自国の軍隊を駐留させているのではない。そんなお人好しの日本人みたいなことを合理主義の権化であるアメリカ人が考えつくことはない。世界情勢はいつでも不安定である。国という物は人格を持たないから、友好関係に感情は伴わない。いつでも裏切りは起こりうるのである。アジアにおけるアメリカの出張所である日本が危機に晒されることはいずれアメリカが危機に陥ることを意味する。それを恐れて敢えて日本に軍隊を派遣しているのである。またそのために現在の日本は軍事的な危機に直面することなく済んでいるのである。それを顧みずに追い出そうとは恩知らずもいいところである。というのは私の意見ではない。

 この件に関する個人的見解は、筆者はこの上ないほどの理想主義者であるから、日本は武力を一切放棄するべきであると考える。一切というのは自衛隊も当然含んでいる。全く武力を持たず抵抗しない国に対して兵力をもつて攻め入るというのは非常に困難であり、全世界が同時に臨戦状況にない限りは侵略を試みた国家は袋叩きの目に遭うであろうし、全世界を支配するだけの力を持たない限り、間もなく滅びることとなろう。人は動物である限り、無抵抗のものを虐殺することはできない。これが信念である。ところが、時として人のように見えて人でない気違いというものも存在し、また、人が集まつて挙国一致の状態になると個人としての人格が存在しなくなることもある。理想主義は通すことができない。正式な軍隊を持たぬ国アメリカ軍が駐留しているのは国益を考えて重要なことである。邪魔だから土地を返せというのは沖縄に住み迷惑している人が言うことであり、他の地域に住む物がわめき立てることではない。

 強姦事件を起こした米軍兵の罪を追及することは何ら間違えてはいない。米軍全体に罪があると決めつけるのは、まさに「坊主憎けりや袈裟まで憎い」の言葉通りである。全く子供じみた知性のかけらもない人間のすることである。

 今回執筆するにあたり、当新聞に載せるに相応しい記事を心がけ、以上のような記事が完成したが、これは筆者の真の感情をそのまま表現している物であるとは限らないが、一応全体として一貫した論調になつているのだから、どこかで無駄な叫び声を上げている者どもの議論よりは増であると確信する。

支配は良くも悪くも無い

 江藤隆美総務庁長官が辞任した(させられた)。「日本は朝鮮半島の植民地時代に良い事もした。」と言つたら韓国が反撥したからださうである。妙な事である。韓国の言ひ分が正しいとしたら、日本は朝鮮半島支配時に悪い事ばかりしてそれでも朝鮮人は三十年間我慢し続けた事になる、日本人は全くの悪人で朝鮮人は全くの善人だつたといふ事になる。嘘をつけ。世の中に全くの悪人も全くの善人もゐない。だから同じ朝鮮人でも北と南に別れてゐて、北の朝鮮人は非道い政治をしてゐると南の朝鮮人が自分で言つてゐる。[ここで朝鮮人といふは便宜にである]

 江藤元長官は当り前の事を言つただけだ。創氏改名と天皇崇拝を押付けられたと朝鮮人は言ふ。どちらも当時の日本人は、朝鮮人を日本人と同等にする為に止むを得ずしたと言つたとしても彼らは承知しないと思ふ。実の所韓国マスコミも日本のマスコミも、日本の朝鮮半島支配の動機など詮索する気も無い。韓国は自国の利益になるから日本に言掛りを付けたのだし、日本側は「間違ひ」を認める事は良い事だと信じてゐるから「反省」して見せたに過ぎぬ。韓国の金泳三を私は買つてゐないが、彼は日本人が過去を反省する事で未来が開けると言つた。なのに日本側が「反省」と言つても承知しないならそれはそれで妙である。一応今回事態は収まつて、日韓首脳会談も予定通り行はれる。どうでも良いが、否良くないが、中共の江沢民が韓国を訪れて、そこで金と一緒に日本を非難した。日本は戦前余程アジアの国に悪い事をしたと言つた。あれは中共得意の日本人洗脳作戦で、眉に唾付けて聞かねばならぬのだが、日本人は中共政府の言ふ事は皆正しいと信じ込んでゐるからこれは言つても甲斐無い事だらう。

 日本人は戦後、アジア諸国に「罪悪感」を抱いてゐる。日本人は戦前アジア諸国に悪い事をしたと信じてゐる。不思議な事に東南アジア諸国は高度経済成長した日本を目標においてゐるさうだ。もしアジア諸国が日本を嫌いなら、なぜ日本の真似などしたがるのだらう。韓国国旗は、勿論日の丸とは無関係のものなのだが似てゐる。何でわざわざ一見似た国旗にしたのだらう。中共は日本を責めて、責めると日本は金を出すからさらに責めて、だから他の国も真似をする。中共の大事は金である。「中国人」はお金が大好きである、昔からさうである事になつてゐたが本当は嘘だつたのに(支那は儒教の国でもある)共産主義国となつてからはそれが事実になつた。一方台湾は何も悪い事をしないで日本に国交を断絶されたのに、今でも日本に悪感情を持つてゐない。それが証拠に、今日本の「マルチメディア産業」を支へてゐるのは台湾企業である。もし台湾企業が日本にパソコンを輸出しなければ、一発で日本の「マルチメディアバブル」は崩壊するのにしないのは、金の為だけでは無い。

 少し前まで日本は韓国を無視し、北朝鮮の言ふ事ばかり気にしてゐた。社会党は韓国を国と認めてゐなかつた。なのにここに来てその社会党は政権を取るとすぐに韓国を国と認め、その言ひなりになりつつある。一方で北朝鮮が米を呉れと言ふと勇んでこれを送らうとする。北朝鮮は日本の米を自国の米と偽つて自国民に与へたのだが、日本政府はろくに抗議しなかつた。さういへば核実験を行つた中共に日本政府は金をやらぬと言ひ、その後核と金は別問題と言つてやはり金をやる事にした。フランスの核実験に厳しい日本は中共の核実験に甘い。ついでだが、小沢一郎は金で北方領土を買はうとした、ソ連にシベリア開発と引換へに北方領土を返せと言つた。ソ連は否と答へた。その後日本はただでシベリア開発をした。閑話休題。

 日本が戦前散々悪い事をしたと思込んでゐる人にぜひ勧めたい本がある。大東亜戦争で日本はアジア諸国を侵略したと思込んでゐる人に勧めたい本がある。否私は大東亜戦争が侵略戦争で無かつたと言ひたいのでは無い、あれは侵略戦争である。ただ侵略戦争はそれ自体善でも悪でも無い。読者には岡倉天心の『日本の目覚め』を読んで貰ひたい。本書は岡倉が西欧に向けて書いた日本擁護の論文だが、そこには今の政治家をはじめ多くの日本人が忘れてしまつた日本を愛する心がある。本来国民は自国を愛すべきで、他国が自国を非難すればそれに怒りを覚えねば可笑しいのである。政治家は自国の利益を第一に考へるべきだが、同時に自国の名誉をも考へねばならぬ、といふより後者をより考へねばならぬ。戦前日本は国際連盟を脱退したが、連盟の総会での脱退表明演説は拍手をもつて迎へられたさうだ。戦前の日本は決して悪い事ばかりしたのでは無い、ただ真当な国として自国の利益を求め名誉を重んじただけである。

 日本は戦前、現代人の思ふ様な非道い国家だつたので無く、間違ひ無く一等国であつた。後進国として出発し、強国と肩を並べた立派な国だつた。勿論他の強国が悪い事をしたのと同様日本も悪い事をしたのは間違ひ無い。だが今東南アジアばかりか世界の後進国が日本を目指して努力してゐるのは、決して戦後日本の経済発展を見たからだけでは無い。よし経済的に追越さうとしてゐるだけの国があつたとしても、そんな国に学ぶべきもの等無い。そんな国が何を言つても気にするな。

噂の真相の「自由な報道」

 噂の真相が和久峻三に訴へられて腹癒せに「自由な報道」と題した特集号を出して自己弁護してゐる。否実はあれは何周年だか第何号だかの記念号なのだと言はれさうだがそんなのはどうでも良い。確かに「噂の真相」は椎名誠に賛辞を書いて貰つて嬉しさうだが、良い気なものと言つておけば良い。否これも大事な事で、読者が雑誌と一体化してゐるから読者も椎名が書いて嬉しい筈で、なら雑誌も読者も同罪である。たかが「噂の真相」のくせに偉さうに。

 私は「噂の真相」が嫌いである。小林よしのりを直接攻撃すれば良いのにしないでその秘書を攻撃し、記事で攻撃すれば良いのに読者の投稿欄で攻撃する。私と同郷の者が何とか雅奇とかいふ名前を使つて毎号熱心に小林の『ゴーマニズム宣言』を読んで批判を書いてゐる。ひよつとすると編集者が名前を騙つてゐるのかも知れぬがならわざわざ私の町の名を出さねば良いのに。我が町の恥だ。

 ともかく、和久峻三が「噂の真相」を裁判に訴へてゐるのはなぜか私は良く知らない。ただ、それに対し「噂の真相」が自分の雑誌で必死で自己弁護するのは見つとも無い、といふより卑怯である。「噂の真相」は今まで、題とは裏腹に人の噂をもとに記事を作つて来てはゐない。編集者の想付きで作つて来た筈だ。さうで無くとも編集者の意向が大いに働いて来たに違ひ無い。私が言ひたいのは、編集者の好き勝手をする事が「自由な報道」かといふ事だ。人の迷惑省みず事実だと言つて何でも載せて良いかと言ふとそれあ良くないと人は言ふだらう。被害を受けた小林よしのりもさう言つてゐる。私はさうは思はない。もし本当に雑誌に載せたいなら何でも載せるが良い。裁判沙汰でも何でも覚悟して載せるが良い。法律で日本国には報道の自由が許されてゐる。報道する分には何でもすれば良い。人の迷惑等は名誉毀損が処理する領分だ、報道の自由と関係無い、そのくらゐの気概を持つてするなら何の文句を言ふべきか。ただ雑誌は人が作る。人が作るなら必ず偏向する。ならさういふ偏向した記事が載る雑誌は自由な雑誌か。私は「噂の真相」の言ふ「自由な報道」に嘘の匂を嗅付ける。

 哀しいかな、「噂の真相」に天皇制賛美の記事も共産党賛美の記事も出ない。ましてや「噂の真相」の暴露記事は出ない。出るのは編集長の意向に叶ふ記事、「噂の真相」に都合の良い記事だけである。編集長の考へに記事は束縛されてゐる。「報道の自由」といふがそれは真赤な嘘で、「自分のしたい報道をするのは自由」なだけである。結局「噂の真相」の記事執筆者は不自由な範囲内で書くだけであり、それを読む読者もまた自由では無い。執筆者も編集者も自分は自由な報道をしてゐると思ひ、読者も自分は自由な報道を読んでゐると錯覚してゐる。それは大きな間違ひで、彼らの「自由な報道」は単に彼らの好みにあつてゐるといふ事以上のもので無い。不幸はそれを「噂の真相」編集者も読者も気づいてゐない事だ。だから平気で「自由な報道」と銘打つて喜んでゐる。本紙読者は承知かと思ふが改めて言ふ、「自由」に縛られる事は自由で無い。

無駄な努力の新興宗教

 今どの駅で降りても「健康と幸せの為に祈らせて下さい。」と言つて来る人がゐる。「手かざし」「浄霊」の人である。この寒いのに良くやるものだ。「済みませんが」と言つて来るので私は「済みませんぢや済まないんだよ」とやくざみたいな事を言つてみた事があるが、実際は連中の方が余程やくざである。ちなみに連中は自分らは宗教家では無いと言つてゐるが、なら連中は「新興宗教家」である。宗教と新興宗教は違ふ。

 実は私も「浄霊」の儀式を受けてみた事がある。本気で「浄霊」されて健康と幸せになりたかつたからでは無い。「浄霊」が彼らには魅力的であるなら、その理由を探る手段として自分も「浄霊」の儀式を受けるに如(し)くは無いからである。私は駅前で連中の一人をとつ捕まへ、ただ連中に一方的に儀式をして貰ふのでは不公平だからこちらはお返しに儒教の講釈をしてやると勝手な事を言つて「浄霊」して貰つた。

 驚いた事に、連中に「浄霊」させてやるのだからこちらが客で、なのに連中客の私に頭を下げろと言ふ。私は拒絶したが、相手の言ふ事には額から直接何かパワーだか気だかを送り込むので頭を低くして貰ひたいと言ふのだつた。私はそれならのけぞつても良いだらうと言つてさうしたが相手は構はず手をかざし、非道く真剣な表情で一心に自分の掌に神経を集中した。私が横にゐる後輩と話をしても精神集中を止めない。それはそれで見上げた根性だが、傍から見れば私が馬鹿なら相手も馬鹿に見えただらう。儀式が終ると何と観音様にお祈りせよと言ふ。観音様にパワーがあるとは初めて聞いた。さてと私が『沈黙の宗教・儒教』(加地伸行著)を取出して講釈を始めると相手は急に落着かなくなつた。

 脱線するが、儒教とは自然崇拝に発する宗教である。決して単なる道徳律では無い。読者が当然勘違ひしてゐる様にこの「浄霊」の男も勘違ひしてゐた。私が儒教の歴史を語り始めると、この男は早速反論を開始し、それに私が反論し、私の説明が相手以上に真剣になつていくに従つて、男はすぐにどこかに行きたいと言ひ始めた。私が相手を言負かしたのか。違ふ。相手は私と儒教の話などしてゐてはカルマならぬノルマを果たせないから逃出したかつただけだ。連中にとつて修行とは「浄霊」の数をこなす事だ。

 馬鹿馬鹿しい様だがこの儀式になぜ人が欺されるか良く分かつた。儀式の間、男の顔は真剣に見えた。人によつては神神しさか禍禍しさを感じよう、といつて別に人の感性に私は文句を言はない。ただ私はここで自分事なのに傍観者になつて、だから途端に男は一人で儀式を演じる事になつて、傍観者たる私は白々しく感じたのである。

 連中の本質は馬鹿である。彼らのなす事は傍目に馬鹿に見えるからである。多分今から千年もたつて、否十年もすれば彼らのした事など馬鹿馬鹿しくて誰も思出すまい。宗教が立派な人間を目指す事で、自分を捨てる事なら、何をすき好んで他人に接近していくか。真剣に立派な人になりたいならまづは人から離れるが良い。仏陀は人と付合ふ事のが嫌になつて修行を始めた。クリストもまづは人里を離れて山中沙漠をさまよつた。孔子も人間が好きで無かつた。

 自己を捨てるのは難しい、人の中にゐて人の為に尽す事は自己を捨てるに一番拙い方法である。「浄霊」といふ修行法の弱点は「浄霊」の儀式を行ふ事による優越感を彼らが味はふ事である。宗教の齎(もたら)す利点に謙譲の精神がある。「浄霊」の人は果して謙虚か。

 何時だつたか、満月が夜空に美しく上がつてゆく晩の事、駅前で「浄霊」青年が必死に客引きまがひの行為を繰返してゐた。私は傍で見ながら、連中一晩じつくりお月様と話をしてみるが良いと思つてゐた。「山水経」といふ言葉もある。彼らは人相手に「手かざし」する。それで悟が開けるか、それで立派になれるか。人から離れ、黙つて悟を開くが良い。何も「手かざし」しなくとも、悟を開いた偉い人が駅前に立つてゐるだけで、道行く人は何かを学ぶだらう。悟るだらう。何を学ぶか、何を悟るか――道(い)はじ、道はじ。

大学当局にお願ひします

 奥島総長以前から決つてゐただらうに今になつてやつと明らかになつた西早稲田のコート跡地の高級マンション建設計画。これは奥島総長が考へた事では無いかも知れぬ。自治会のビラでは一般のマンション業者並の説明会しか開かなかつたさうだ。何普通マンション業者はやくざなものだ。大学当局も商売の仕方を良く勉強してゐる。

 大学当局を批判するのはいつたん止めにして、私は自治会を批判したい。なぜなら大学の馬鹿は無視すれば良いが、自治会の馬鹿は身近なので無視し難いからである。大学の馬鹿は放つておいて、自治会の馬鹿とは何かといふと、どうでも良い他人事に勝手に口を挟む事である。マンション建設等学生には何の関係も無い事で、近隣住民など早稲田大学と何のかかはりも無いものである。自治会が必死にこれに反対するのは為にするものかと思はれる。自治会は奥島総長は悪いといふ事が言ひたいのである。

 いつも言つてゐる事だが、学生自治会は学生の為になる事を何もやつてゐない。自治会は、間接的に役に立ってゐるといふだらうが、間接的とは無関係の謂だ。大体自治会のする事は、学生の為どころか害になつてゐる。大学生の本分が学問なら、自治会がサークル活動ばかり大事と言つて学問を等閑視し、学費値上反対と言つては試験を妨害するのは間違つてゐる。

 今回の大学のマンション建設も学問と関係無い。大学は近隣住民に金を払つたさうだが、自治会こそ住民から金を貰つてゐないか。これは大いにありさうな事だ、自治会の大事は金だと前号私は書いた。だが私は自治会は「天誅研究会」だとも書いた。自治会は金より正義が大事である。なら実際金の事抜きで自治会は今回の問題に口を出してゐるに違ひ無い。しかしこれは困つた事である。私利私欲によらぬ正義は良い事だとされるが、それは人を増長させるから別の見方をすると困つた事なのである。自治会の正義を信じる事新興宗教並である。オウム真理教が言ふ真理と同じで、傍迷惑だが本人良い事と信じてゐるから連中聴く耳持たない。

 大学当局は当局で、自分の大学の為といふ言葉にまた惑はされてゐる。奥島総長に言はせれば今回のマンション建設も「マクロな目で見れば」早稲田大学の利益になるとでもいふのだらう。しかし私は自治会も大学側も同じ穴の狢に見える。どちらも「早稲田大学の為」に何かをしてゐるといふのだから。結局両者とも嘘なのである。人は自分の為に物事をするのが当然だといふ事をどちらも無視してゐる。自分は他人の為にしてゐると思ふから思上りになる。

 だから私は大学当局に要求したい。自治会を抑へ付けられないなら、下手に妙な計画を立てて一般学生に害になる反対運動を自治会に起させるな。学生は麻雀ばかりしてゐる訳では無い。学問をしたい学生もゐる。私は自分の為に大学は学問の為にのみあれと言ふ。

一言他人事(ひとことひとごと)

★フランスが第四回核実験を敢行した。良くぞやつたり。さすがフランス政府はどこぞの腑抜け政府と違ふ。とにかく日本の反核運動は糞の役にも立たなかつたのが証明された。仏大使館前の抗議等するだけ無駄なのだつた。

★Windowsは騒ぎになつてゐる割に、「発売解禁」の瞬間をテレビで余り報道されなかつた。(リアルタイムに報じたのはフジと朝日だけ)TBS筑紫哲也は同時刻自分を語つてゐた。日本テレビはクイズ番組だつた。テレビ東京はスポーツニュースだった。フジと朝日が間違つてゐた様な気がする。

★ダイアナ妃のインタビューについて。本人の言葉は詰らなかつたが、NHKのニュース2150で出てきたイギリスの「タイム」の編集者のコメントが良かつた。日本の皇室は表に出て来ないので今も国民の敬意を集めてゐるといふのだ。今の天皇陛下は色々発言されてゐるが、そんな事を続けられては英国王室の二の舞にならぬか心配である。

★小林よしのりが抜け宅八郎がトラブルを起し編集長解任の「SPA!」だが、元が「週刊産経」だから別にトラブルが起きてもをかしく無い、と言ふのが事情通らしい。一方小林の移つて来た「SAPIO」が実は面白い。アジアのニュースを主体にした記事は他誌で見られない内容で勉強になる。ただ中尊寺ゆつこの所と書評、映画評が気に食はぬ。馬鹿が書く書評は詰らない。

★新刊紹介……石堂淑朗著『日本人の敵は「日本人」だ』この人は言ふ事が時々不徹底だが、文章を上手に書かうとしてゐるので読者に推薦する。作者は「正論」で『天誅・筆誅・昆虫』を書いてゐた。こちらの単行本化も私は望んでゐる。

★ビートルズの新曲が出たが、ジョン・レノンは馬鹿なので買はぬがよろしい。ちなみにイマジンImagineをよく聴くとジョンは共産主義者だつた事が分る。想像してみよ、国家も無ければ宗教も無い、貧困も無いといふ事を。そして俺をDreamerと呼びたくば呼ぶが良い……哲学ならぬ『音楽の貧困』といふ言葉がジョンには似合ふ。ついでにポール・マッカートニーも馬鹿だ、久米宏並だ。※二人は「フランスの核実験に抗議するために、フランス産のワインは飲まぬ」と同じ事を言つたのである。

次号予告――当然いつ出るか分らぬが本紙は今号より勝手に週刊に変更するので、多分来週金曜日には出よう。内容も相変はらず未定。時事問題ばかり採上げる筈。本号に続き新寄稿者があるかも知れぬ。寄稿したい読者は編集者を探当てて原稿を押付ける事。

「SAPIO」9月12日号所有者は私に譲られたし。「新・ゴーマニズム宣言」の第一回の載つたこの号だけ買損なつた為。(本文敬称略)

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